ArcSpace 世界平和記念聖堂 -村野藤吾-

昨日は資格講習で1日缶詰で広島でお勉強。
そんな昼休み中ぶらっと歩いていると気が付けば
広島市幟町の世界平和記念聖堂の前
ふらっと誘われるよう見ていると
「建物ご案内しましょうか?」
とご婦人が声を掛けてくれました。
「村野先生が造ってくださったこの教会のすばらしさを広めたいんです」
とおっしゃる建物案内をボランティアでやっている藤田さんでした。
藤田さんに教わったことを自分なりにお手伝い出来たらと
写真を交えご紹介させて頂きます。

竣 工 1954(昭和29)年8月6日
     1983〜1984 補修工事
設 計 村野藤吾(+近藤正志) 
構 造 RC(鉄筋コンクリート)造3階建塔高45m(十字含56.4m)
所在地  広島市中区幟町4‐42

「世界最初の原子爆弾の犠牲となりし人々の追憶と慰霊のために、
また万国国民の友愛と平和のしるし」として建てられました。
設計はあの昭和の巨匠、村尾藤吾氏。
広島という中州の地域、指示地盤は地下54m。
しかし特別な構造計算により杭工事を無くし、建物下に
プレートを用意することで砂の上に浮いている基礎構造。
正面前景

この建物の施工時期は戦後のため物資不足。外壁の煉瓦、曲線を描く窓枠はすべて現地で制作された。

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「世界最初の原子爆弾の犠牲となりし人々の追憶と慰霊のために、また万国国民の友愛と平和のしるし」として建てられました。

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当初蒼々たるメンバーで設計コンペを開催し設計者を決定しようとしたが一席が現れず、当時審査員として参加していた村野藤吾氏が設計を担当することになる。ところが、村野藤吾氏はそんな形での仕事の為なのか一切の設計費を要求していない。

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デュッセルドルフより寄贈された教会入り口の鉄扉。この教会には当時日本同等敗戦の戦後を送っていたはずのドイツからの贈り物が各所に見られる。

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教会内部大聖堂内部、外部はモルタルブロックの見事なテクスチャーだが内部は一変してフラットな仕上。各所に見事なステンドグラスの窓が見られる。
この設計に関してコンペ時より「日本らしさのある教会」と言うテーマがあった。

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上から松竹梅を意味する上部窓、南面は暖色系のステンドグラス北側は寒色系のステンドグラス。

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窓部。こんなに、繊細な窓はなかなか出会えない。この枠まで戦後に現地で制作されたと思うと、今の制作技術は大量生産の為だけに進歩してきたのだろうかと少しいろんな事を考えてしまう。

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村野藤吾の階段。蹴込みは直角で踏み面も23cmくらいだろうか。でも狭い螺旋階段だが本当に登りやすい。階段傾斜に合わせて制作された手すりがこんなにも重要な物と改めて教えられた。繊細なデザインというより究極の機能美に感じた。何回も何回も上り下りしながら曲線を描いたんではないだろうか。

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鳳凰。なにより驚いたのはかつてここには十字架が掲げられていた。村野氏が提案しシャモまで用意しスケッチしながらイメージをふくらませ作成されたそうだ。実はこの鳳凰二代目と教えられた。初代は繊細なデザイン過ぎて壊れたそうだ。そんな事を聞いても僕にとっては村野氏の人らしいものつくりの笑顔を想像してしまい、なんともうれしい気分になる。

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パイプオルガンのサブ鍵盤
プレートにはケルンから広島に送られたと記され、歴史と想いを感じる。案内をしていただいた藤田さんが奏でてくれた音に、頭のてっぺんから何か抜けていくような感覚に襲われる。この、パイプオルガンの先に村野氏の想いがあると思うと体中がしびれてきた。

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不思議だ聖堂を見上げると気持ちが落ち着いてくる。自分より大きなスケール感に自分のスケールを合わせようとすると自然と気持ちが揺らぎ、大きなスケールの中に包まれると安心する。変ね意味で何も出来ない胎児になった気持ちになると言えばいいのだろうか。こんなスケール感を住宅の一部に盛り込めないかな〜なんて考えてしまいました。

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これもドイツから送られたステンドグラス。今まで見たことのあるステンドグラスの中でも、こんなにすごいと思った物はなかった。素直にキレイとため息が出てしまいました。

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地下の空間。ざらついた天井で柔らかいほんのりとした明かり。自分の手のしわが見えないくらいの明るさ。村野氏はこのほの暗い明るさが「いい」と言ったそうです。僕も同感です。

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村野氏のデザインした照明が天井を照らす。 どう言えばいいのだろうかただだた暖かい。そんな空間が静かに存在している。

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昼休みの30分間だったのだけど、とてもいい旅をさせてもらえました。
案内してくださった藤田様本当にありがとうございました。
毎日案内をしてもらえる訳ではないようなのですが、藤田さんが居るときは案内してもらえるそうです。予約受付もあるそうなので、一度訪れてみられては。
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村野藤吾
昭和を代表する建築家のひとり略歴

1891年、佐賀県唐津生まれ。
1910年、小倉工業機械科を卒業後、八幡製鉄所に入る。
1913年、早稲田大学入学。
1918年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。渡辺節建築事務所入所。
1929年、村野建築事務所開設。
1930年、建築研究のためロシア・アメリカ・ヨーロッパ外遊。
1949年、村野・森建築事務所と改称。
1954年、名古屋丸栄百貨店で日本建築学会賞受賞。
1960年、八幡市民会館で建築業協会賞受賞。
1984年11月26日死去。享年93歳。

主作品
そごう百貨店
大阪新歌舞伎座
兵庫県立近代美術館
新高輪プリンスホテル
京都都ホテル佳水園
早稲田大学文学部校舎
日本生命日比谷ビル
宝塚カトリック教会

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コメント

かなり遅くなりましたが、こちらもリンクさせて頂きました。

村野さんの階段っていいですよね。
僕はちょっと前に、村野さん設計の千代田生命本社ビル(現 目黒区総合庁舎)を隅々まで見る機会がありました。
入口正面の大階段の大らかな曲線に感動したのを覚えています。
色々見ていくと全部の階段が(管理階段までも)きめ細かに設計されていてとても驚きました。

案内してくれる方がいるなんて凄いですね。
しかも30分と言えども、かなり内容は濃ゆ〜い感じですね。
僕も行ってみたくなりました。

実は広島へは修学旅行で一度行ったきりなんです。
ピースセンターもお決まりコースなんで行きましたが、パッパラパーな頭には何にも残っていません・・・(爆)
今見たら凄く面白いんだろうなぁと思います。

■takeshismさん
こんばんは
いらっしゃいです〜
そうですね村野さんの階段は凄いですね
登りながら手すりが吸い付いてくるんです。
逆に誘導されているんじゃないかって気になります。よく見てみると手摺りの湾曲とかは登りながら決めたのではと思えるほどなめらかです。
目黒区総合庁舎ですか・・・行ってみたくなりました。なーんて白々しいですが。
今週末実は東京に建築探訪にお出かけしようと思っています。東京自体初めてなので完全にお登りさん状態なんですけどね。

takeshismさんも是非広島にどうぞ!!

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